長善寺 寺院紹介

伝説この美しい瀬戸内の海に異変がおきたのはもう五百年も前のこと夜な夜な波間にひかりさすとても妖しいできごとに高崎の浦は大騒ぎ恐れおののくそのなかに郷氏、野村与衛門久通魔もの退治に綱をうつ浮かんできたのはアミダ仏像をもらった領主さま夜ごと夜ごとに夢をみる白髪たれるおとしよりわしゃ入野へかえりたい入野の領主も夢をみるかえりたいから迎えにこい送るものと迎えるひと下野 神田屋 在屋奥ざんとうばったり出会う東野村その後三百数十年火災でお寺は焼けおちる水火二難のほとけさまお寺をもう一度たてるときえらばれたし


沿革
建久年間(1190〜1199)の創建にして最初は賀茂郡西野村(現、竹原市西野町字宗徳)にあって、大内山長善庵と称し天台宗に属していた。
永正十一年(1514)九月に、玄智坊善恵律師(?〜1530)が真宗に改宗し長善寺と號した。
永禄五年(1562)・慶長十九年(1614)の両度にわたって被災した、特に慶長十九年の時は、福島正則の軍が、瓦坂を通るのに暗いからといって寺を焼いたとの伝承もある。そして元和元年(1615)春に豊田郡入野村字大谷(現、賀茂郡河内町字入野)に移転をした。
しかしここでも元治元年(1864)四月火災に遭い、本堂庫裡とも焼失した。
その後、明治七年(1874)六月、第十八代住職大淳(ダイジュン)によって、現在地に移転する。

住職紹介
住職 大内寛文 おおうち ひろふみ

 ●履歴
   ◇1966年〈昭和41年11月17日生〉
   ◇1979年  竹原市立東野小学校卒業
   ◇1982年  竹原市立賀茂川中学校卒業
   ◇1985年  広島県立竹原高校卒業
   ◇1985年  株式会社リコー入社〈東京〉
   ◇1991年  龍谷大学入学〈京都〉
   ◇1995年  株式会社リコー再入社
   ◇1997年  自坊長善寺へ帰寺 僧侶の道へ