早期復興祈念!
昨日東日本大震災震災地、岩手県釜石市に行ってきた。亡くなられた方々の追悼参拝と新日鉄釜石友人桜庭・一つ上の先輩高橋さんに義援金を渡すためである。何かできることはないか?長い間そう思って9ヶ月も経ってしまったが、前日の夜居ても経ってもいられなくなり、次の日の朝一の飛行機に乗った。阪神淡路大震災の時私は学生の身として京都にいた。早朝寝ているとアパートが揺れ始め、目を開けると棚が倒れ、本などが降ってきた。暫くしてテレビをつけ唖然とした。最初は燃えさかる街を見て映画かと思った。でもチャンネルを回しても同じ光景。本当に神戸の街が燃えている。さっきの地震は大地震だった・・。何かしなきゃ。何か動かなきゃ。ラグビー部内でも話し合った。まず安否の確認を行った。でも結局その他殆ど何もできなかった。虚しかった。今回は僧侶として、同じラガーマンとして何ができるか。あの時の様にズーッと考えていた。あちこちで個人やお寺として義援金は送らせて頂いた。でも他にもっともっと何ができるか・・。実際釜石の海沿いに行ってみると正しく廃墟の街がひろがっていた。ボランティアや復興関係者が多く活動している状況を想像していただけに「なんでまだこんなに何も進んでないの、誰もいないの」と思った。後から分かった事だが、被災地域は店舗再開は認められているが、住居地域としては認められてないようだ。釜石駅から北側と海側は本当に天と地獄の差である。友人は「やっぱり時間が経っても忘れられない。時間が経ったからこそ新たにいろんな辛い思い出が湧いてくることがある」と言っていた。高橋さんもそうだが、普通に話をされているように見えてもやはり常に悲愴な顔が見え隠れした。震災から9ヶ月経った。当然マスコミの取り上げ方も少なくなった。でもまだまだこれから。こころのケア。やはりこれが一番大切な事。そう思った。廃墟の通りを誰にも気づかれないように写真を撮った。その通りの正面奥にモクモクと勢いよく煙をはいた新日鉄釜石の煙突が見えた。釜石は「魚と鉄とラグビーのまち」と駅前に看板があった。今シーズン釜石シーウエイブスは結果的には残念な結果に終わった。でもその勇姿に多くの市民が振るい立ったのは事実だ。釜石復興の象徴・原動力として新日鉄釜石、又同ラグビー部、これからもどうぞ頑張ってください!